542 名前:( ´∀`)さん 投稿日:2001/05/26(土) 00:51
ころは昭和の13年。5月は21日の1時すぎ。
頭の両側に2個の棒型懐中電灯を固定、
胸にも自転車用の角型電灯を吊った犯人は、
腰に日本刀、懐に短刀、猟銃・弾薬袋を持ちて、
巻脚地下足袋といういでたちで村人を殺害せんといきりたつ。
送電線を切断し、闇夜となりし部落内。
おこるは阿鼻叫喚の地獄絵図。
祖母の首を大斧で。
幼児・老婆の見境なく発砲・刺殺。
午前3時ごろ逃走せしむ。
嗚呼、これがその「津山三十人殺し」かな
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        ∧ ∧    オソレスニナッチマッタヨ
        ( ゚Д゚) [|]   _
        < y~|⊃   |講|
      /旦 ̄ ̄ ̄ ̄\|談|
      ,| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ||擬|
      .|         ||古|
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

543 名前:( ´∀`)さん 投稿日:2001/05/26(土) 02:22
 青年将校たちが帝都で叛乱を起こし虚しくも散つていつた動乱の昭和十壱年。その参ヵ月後の五月十八日、
東京市荒川区尾久町の待合「満左喜」で、細紐で首を絞められた男性の死体が発見された。
 頭部を西向きに横臥していたその死体は、以後今日まで、さまざまな文学者や映画・演劇関係者などの関心の的となつていく。
 それは、その被害者・石田吉蔵(当時四十二歳)の性器が根もとからすつはり刃物で切りとられていたといふ
前代未聞の猟奇的な犯罪だつたからである。
 明らかに七日間の長逗留中、間断なく情事に没頭していたと思はれる痕跡の残る布団の敷布には、
性器切断の折りに滴つた血で書いたのだろう、「定吉二人キリ」といふ鮮血によつて書かれた血文字がにじんでおり、
また男の死体の大腿部にも「定吉二人」と血文字が書かれ、さらには、左腕にも「定」の一字が牛刀で刻まれていた。
 まさに確信犯ともいふべき大胆さで犯行の痕跡を残した阿部定(当時三十一歳)は、切りとつた男性器を懐に入れ愛でながら逃亡し、
最後には潜伏先の旅館で高輪署に逮捕されるが、連行されるその姿を写した報道写真には、恍惚の表情さえ漂つていたかに見えた。
 しかし、果たして阿部定は希代の“妖婦”だつたのだらうか。
 予審調書という、ある意味で殺伐たる文体を持つ事務的でステロタイプの文中からにじみ出てくる阿部定の人生は、
しかし、少女期に処女を失つたことを契機に、苦界の深みにはまつていく悲しい女の性と、
常に究極の愛を求めていつた女の姿が浮かんでくるやうだ。
 昭和初期といふ漠然たる不安の時代を、女性はどのやうに生き抜いたのか。その最も鮮烈な姿が、そこに活写されている、
といつたら過言だらうか。
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      ∩ヽ/||⌒!つ
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545 名前:逝って吉 投稿日:2001/05/26(土) 11:34
>>109
もっと古くした。

「壹逝つてよし(昭和八年五月八日 朝日新聞)」

容疑者壹、「貳ちやんぬる(東亰都)」なるヰンタネツト掲示板(假想會合場)に古今未曾有のくそスレツド(話し場)建てり。
壹は定職にもつかず毎日(まひにち)/\上掲示板にくだらぬ書き込みをつゞけ、周圍の人間の嘲笑(ちよふしよふ)を買ふもあきたらず、 つひに自分で建てり。
しかし壹では役不足、結局(けつきよく)嘲笑の書き込みすらされず「ダツト逝き」さるるが、その直前に情けなくも自分で自分を勵ませり。
またこの時わざと人の目にさらさるるやうに「あげ」と呼ばる邪法を用ゐる。

壹には不敬罪、治安維持法違反の容疑(やうぎ)も掛けられ宮内府、特高警察からの追及もさるる見込み。
壹の母親は「息子の不始末を悲しく思ふも壹は潔く死ぬべし」と話せり。

社説:
今囘(こんかひ)の壹のやうなばかやらふを人は「ドリチン」と云つてばかにせり。
このやうなことに陷ればもはや生きていく價値はなし。もはや滿州人・朝鮮人との比較にもならず。
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      /旦 ̄ ̄ ̄ ̄\|談|
      ,| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ||擬|
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546 名前:名無しさん 投稿日:2001/05/26(土) 12:33
   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`) < ナカナカ味わひ深き擦れでありますなァ 
  く  У >  \__________________
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  (__)_)

547 名前:( ´∀`)さん 投稿日:2001/05/26(土) 12:49
文體の高尚なるがゆへに、罵倒の響きが餘りせぬのは
些か本末轉倒と云ふべき哉
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  ∧ ∧
  ( ゚Д゚)
  < ヽ⊂>
〜(_|⊃)

548 名前:( ´∀`)さん 投稿日:2001/05/26(土) 13:23
貴殿の傳へたき事は解せども、
元来役不足とは相手を譽め持ち上げたる時に使ふ詞也。
相手を貶めたる時に使ふ詞に非ず
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      ∧ ∧
      ( ゚Д゚)∧    其れだけが氣に懸りましてなァ
      ∩ヽ/||⌒!つ  こま/\したる奴よと笑つてやつとくれ
       ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

550 名前:無名文士 投稿日:2001/05/26(土) 21:57
>>545
前作から氣になつてゐたのであるが、「昭和八年」であるならば、
「東京都」ではなくて「東京府」では御坐らぬか。
因みに昭和七年、「東京市」(今日の東京二十三區に相當)は
隣接五郡八十二町村を合併し三十五區となり、人口約四百九十七万人の
世界第二位の都市となつてゐる。
參考サイト http://www.koho.metro.tokyo.jp/youkoso/page/rekisi/rekishi.htm

それともう一つ、「朝日新聞」は「東京朝日新聞」であつた様な微かなる記憶あり。
早速、アサヒ ドツト コムなるホオムペエジで社史を調べしが、
その内容貧弱極まりなく、詳細は不明也。

實に些細な事で、相すまぬのォー。
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      ( ゚Д゚)∧
      ∩ヽ/||⌒!つ
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551 名前:( ´∀`)さん 投稿日:2001/05/26(土) 22:31
   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`) < 今日は帝劇 明日は三越
  く  У >  \__________________
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